へりくだることの本当の意味 パートⅡ |
先週お伝えいたしました、鈴木主任牧師のメッセージ
「へりくだることの本当の意味」のパートⅡとして
今週はお送りしたいと思います。
人に対してへりくだることの本当の意味は、
自分を卑下することではなく、低くすることなく、
自分の立ち位置はそのままに、相手の長所を見つけて
認め、尊敬し、自分より高くする。それこそが、聖書の意味する
へりくだることの本当の意味ですヨ!とお伝えしました。
そして今週は、人に対してではなく「神様」に対して
へりくだることの本当の意味とは、なんぞや?
というわけで、さっそくみて参りましょう!
「そりゃ、クリスチャンだったら、神様に対して
へりくだらなきゃいかんでしょう!あったりまえだがね(*`Д´)ノ」
もちろんそうですが、意外と出来ていないようですヨ~。
神様は、私たちの主権者です。
主権者とは、最終的な決定権を持っている方のこと。
私たちが生まれたのも、そして死ぬのも
人生全てが主権者である神様の御手の中にあります。
自分の主権者は自分ではなく、主権者は神様であると認めること!
これが「神様に対してへりくだることの本当の意味ですよ。」
との事でした。
「当然でしょ!もちろん認めていますよ!それが何か?(`ヘ´)」と
思わず言ってしまいそうですが・・・・。
よ~く考えてみましょう。
自分の才能や、能力を、ぜ~んぶ自分の為に使っていませんか?
お金も、時間も、ぜ~んぶ思うように使っていませんか?
優しい、優しいイエス様が、愛ゆえに私たちに与えて下さった
「選択の自由権」を、ぜ~んぶ気の向くままに使っていませんか?
「いやぁ~・・・あのぉ~・・・え~っと・・・(´▽`;)ゞ」
・・・なかなか、ムツカシイものですよネ・・・。
でも、たとえ少しでも、現状で出来る範囲のことであっても
神様が与えて下さった、自分の才能、能力、お金、時間を
神様の為に使う時、神様は喜んでくださいます。それが多ければ多いほど
大きな祝福が与えられます。
そして、主任牧師は言われました。
主権者=責任者でもある神様は
ご自分で私たちの人生の責任をとりたいんです!
人生全てを委ねて欲しいんです!祝福したいんです!
目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして
人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために
神の備えて下さったものは、みなそうである。
コリント人への手紙 第一 2章9節
う~ん、この聖書のことば、神様は、自分の未来に
何を備えて下さってるんだろう?
いったいどんな祝福が待っているんだろう?って
ワクワクして来ませんか!そして、もう一つ。
これは、ロックチャーチの10月の暗証聖句にもなりました
ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。
神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。
ペテロの手紙 第一 5章6節
この「ちょうど良い時」とは、神様が自分の主権者であると認め、
私たちが、神様の喜ばれることを選択していくとき、そのときこそが、
私たちのちょうど良い時であるとの事でした!
そうだったんだぁ~。なるほど!
2週に渡りましたメッセージ「へりくだることの本当の意味」が
皆さんにちゃんとお伝え出来ましたなら感謝ですが、ご興味のある方は、
是非メッセージCD-R(一枚300円)をロックチャーチにてお求めください。
もっと、もっと、リアルに伝わりますヨぉ~!
文:ソブエ
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