主は私の羊飼い |
この地方は、ほとんど台風の影響を受けずに過ごすことが出来ましたが
大きな被害を受けられた地域の方々には、心より、お見舞い申し上げます。
被害を受けられた方々が、一日も早く
かけがえのない日常生活に戻ることができますように
主の御名によってお祈りいたします。
少し前ですが、5月の夜の木曜礼拝で(夜の礼拝は、月に二回、隔週で行っています)
「主は私の羊飼い」と言う題で、鈴木主任牧師よりメッセージがありました。
聖書の詩篇23編の1節~6節から引用されたメッセージで
この箇所からは、竜生牧師が素敵なワーシップソングを作られており
私達、ロックチャーチにとっては、とても馴染みのある聖書のことばです。
しかし、「羊飼い」と言う仕事に関して言えば、私達日本人にとっては、
あまり馴染みのあるものではなく、自分も、クリスチャンになるまでは
アルプスの少女ハイジのペーターを思い浮かべたりしておりました。
でも、ペーターは、ホントは「羊飼い」ではなく、「山羊飼い」なんですよね(笑)
「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません」と、
私達人間を羊に、神様を羊飼いに例えたこの聖書のことばは、
羊は、野生のままでは生きて行けず、羊飼いが絶対に必要であること、
そして、羊飼いは、朝、昼、晩と、まどろむことなく羊の世話をし、
また、命がけで狼等の外敵から群れを守ることから
神様と人間の真の関係を例えてある詩なのですが
この、「神様が人間の世話をする」という発想は
世界中、他のどんな宗教にも無いそうです。
すべての宗教の基本は、「自分から修行して神に近づいて行く」というもので、
神様が、人の世話をするというのはありえないんだそうです。
確かに、その「神」と言われるものは、実に曖昧なものが多いと思います。
この日本でも、地方に古くから伝わる昔話などでは
「村の神様をお守りするんだ~!」と
人間が外敵や災害から、そのあがめられている像や、「護り神」と言われているものを
守ったりする話もよくありますよね。
今までは、何の疑問も持たずにいましたが、
よくよく考えてみたら、天変地異や、強盗や山賊などから
人間が守らなければいけない神様ってどんな「護り神」なんだろうと思います。
大自然の力を前にしては、私達人間の力はあまりにも無力で、小さな存在です。
その大自然の力に、人間と同じように負けてしまうくらいの力しか持たない
「神」を拝む必要があるんだろうか?それを「神」と呼べるのだろうか?
イエスキリストは、嵐に向かって「静まれ!」と一喝して、嵐をピタリと静めました。
「またまた、大げさな~そんなん絶対に信じられんわ~」と嵐のように叫ぶアナタ!(笑)
仮に、その聖書の箇所を信じる、信じないは別にして
人間に守られなければいけない「神」
人間を守る為に、大自然を治める「神」
どちらの「神」を選びますか?
自分が羊だったら、どちらの羊飼いにお世話してもらいたいですか?
連日35度オーバーの酷暑を前に、
どちらの羊飼いに、キレイ、サッパリと毛を刈ってもらいたいですか?(笑)
このブログを読んでしまったのを機に(笑)
今一度お考え頂けましたら、感謝ですm(_ _)m
文:ソブエ
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